この豪農の家は、明治時代に途絶えたそうですが、次のような伝説が伝わっているそうです。
美浜の伝説は金山集落内にのみ伝わっていた。地元の郷土史家宇都宮肇さん(79)によると、集落のある豪農が1889(明治22)年ごろに母屋を改築した際、背後の金向(かねこ)山から大黒柱にするアカマツを切り出すと、一緒に座敷わらしが住み着いた。屋根裏のくぼみにガマの穂を敷いて寝床にしていたという。カッパと仲良くしていたとも伝えられている。
座敷わらしの言い伝えは、東北に多く伝わるものですが、福井で、座敷わらしが伝わるのは珍しいという紹介のされかたをしています。確かに、これが東北以外の座敷わらし伝説の発見のひとつととらえることもできると思いますが、私は別の考え方もできると思います。
座敷わらしのように、屋内に住み着くとされる妖怪は、東北のザシキワラシのほか、山梨に伝わるクラボウズ、徳島のアカシャグマ、石川のマクラガエシなど、たくさんいます。そのなかでもザシキワラシは遠野物語などの影響で明治時代以降、全国的に浸透しました。それゆえに、本来、別の名前で呼ばれていた「屋内棲息型子供妖怪」が、ザシキワラシの名で説明するうちに、本来の名前が失われ、ザシキワラシと名前が変わった可能性があります。
そのひとつの証拠に「カッパと仲良くしていた」とのことですが、福井では、カッパという名称よりも「ガメ」、「ガタロ」、「ガワソ」などのほうが一般名ではないかと思います。
もちろん、本来の名前がカッパとザシキワラシであり、正確に伝わった可能性も否定できません。カッパかザシキワラシか、どちらか、あるいは両方が明治以降、名前が変化して伝わったという可能性もあります。
どんな名前で呼ばれていたか、その呼び名も大切ですが、どのような伝説が伝わっているのか。言い伝えの内容も含めて考えてみたいところです。
【ニュースソース】
http://www.47news.jp/news/2010/06/post_20100603114839.html
この記事へのコメント
大嶋昌治
間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イランがイスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めてください。